2017.4.1.(土)
書道研究温知会本部にて、お稽古と第52回高野山競書大会作品を提出しました。
I先生と日本橋にある 「一般財団法人 澄和(とわ)主催」相田みつを美術館特別協力
ギャラリー「309 collection」にて、開催の
第2回 相田みつを 日本橋・春の特別展を、拝見拝聴しました。
相田みつを氏 ご子息のギャラリートークでした。
相田みつをは、栃木県足利市に1924年大正13年生まれました。
1991年67歳まで、弟子を持たない、副業を持たない、筆一本で生きました。
昭和16年17歳で「イワサワケイセキ」に師事し、「書」で生きることを決意しました。
昭和20年21歳で終戦を迎えました。
昭和22年23歳でたくさんの賞を受けました。
[相田みつをの3つの柱]
① 20歳代は人の真似
中国の正統派古典といわれる王羲之や鄭道昭を中心に中国の古典を徹底的に学ぶ。
② 30歳から独特の言葉
「詩人 相田みつを」として、その時代に合った、(自分の言葉)を(自分の書)で、表現するために、
「5・7・5・7・7」のリズム感で表現する短歌を勉強し、歌人となる
③ 人間相田みつをの40年の座禅
18歳の頃、鎌倉 興福寺で「道元禅師」の流れをくむ「タケイテツロウ」に座禅を師事
「その時どう動く」から「人生はその時どう動く」は、40年の座禅から
1954年30歳から1984年60歳迄の30年間、「にんげんだもの」書き上げた
そこには、紙を買うお金もなく奥さんが作品を持って売り歩いてもなかなか買ってもらえなかったという。
ご子息は、「どうやって食べていたのだろう?」と、お話された。
世の中の芸術家は、裕福であると素晴らしい作品が制作できないものなのでしょうか?
現在インターネットで300%もの贋作が出回っているし。100人の鑑定依頼を受けると99点が贋作である。
(人間「相田みつを」は、3本の柱によって、誰にも真似の出来ない「相田みつを」を完成させた)は、私が講演で聴いたまとめです。
ここで、1996年7月5日 芸術新聞社発行 「墨」スペシャル表紙の写真を掲載したいと思います。
この本の中程には、10人の書家の似顔絵も載っています。
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