芭蕉は、携帯用の「墨入れ」と「筆」を持ち歩いたという。
旅先で、「句会」を開いて、指導をしたり、
馬小屋の上に泊めてもらったり、人情で宿泊させてもらったらしい。
私も、携帯用の「墨入れ」と「筆」と「短冊」を持ち歩く事は出来たとしても、
5ヶ月余、道程600里(2,400km)の旅は、想像出来ない。
健脚であることも、必要である。
松尾芭蕉(1644?1694)
門人・河合曾良(1649?1710)
「おくのほそ道」の旅は、(1689・5・16?5ヶ月余、2,400?)
(江戸深川・日光・那須・白河・飯坂・仙台・松島・平泉・奥羽山脈越え、出羽路に入り・境田・尾花沢・山寺・大石田・新庄・出羽三山・鶴岡・酒田・象潟・温海・越後国に入り・金沢・山中・永平寺・福井・北陸路・敦賀・大垣に至り・伊勢を目指して出立するところまで)
最上川 舟下り
立石寺(山寺)
立石寺(山寺)より