2010,7,11. (日) 国立新美術館 2F? 2A そして 1F? 特別展示室
第62回 毎日書道展 前期1期 「かな・近代詩文書・前衛」
会員以下&入賞者 (姓号のあ~さ行)
11:00?12:00 毎日賞 「近代詩文書」 解説 (作品の前で)
12:00?13:00 特別展示 生誕110年記念 「松井如流」
ー書・学一如の生涯ー
13:00?14:00 毎日賞 「かな」 解説 (作品の前で)
14:00?15:00 毎日賞 「前衛書」 解説 (作品の前で)
私は、11:00?13:45 まで、解説をお聞きした。
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? 近代詩文書 百瀬大蕪 先生
毎日書道展は、日本文化を次世代に受け継ぐ意義がある。
毎日賞 209点 受賞。
近代詩文書は、7、177点中 51点の毎日賞 受賞。
展覧会レベルとしての毎日賞の位置づけ。
5回(会友)?6回(公募)のチェックがある。
32人の審査員が、一生懸命書いた作品を見せて頂く。
鑑賞とは、一定の距離を置いて観て、味わう事である。
観察とは、調べる事である。違いを分かって欲しい。
作品の対角線の長さ×2?3倍の距離で観る。
見ない様にして見て歩き、
作品のエネルギーとマッチするエネルギーを見つける。
それから、正面から向き合って見る。
時代の流れがあり、戦前は、言葉を楽しみ、作品と対話が出来た。
戦後は、書いてる人も読めなかったり、外国人は絵画として観ている。
絵画は、色を重ねて立体感を出している。
文字は、動き出すような線の力で盛り上がった立体感を出す。
文字には、音楽的なリズムが必要である。
かな散らし等のリズムには、カラオケに行く事も必要?
ある時、中国の大書家を日展にお連れしたら、詰らないと言われた。
古典を勉強する事により、師の文字形体を真似るのではなく、
個性を鍛錬する事である。
上手い下手ではなく、たとえ読めなくても、元気が出る作品を書こう。
淡墨の作品は、元々は中国の南画から来ている。
書が立体的に見える研究で、ピカソが日本に留学していた。
油絵に無い味付けは、「滲み」と「かすれ」で表現。
書道は筆が上下運動をし、習字はどちらかというと平面的である。
マットの色が出ている作品と、マットの色が出てない作品は、
作者の意図するものである、小さい紙に目一杯書く事等も含めて。
U23の作品は、テレビのパフォーマンスの様ではなく、
古典の臨書を一生懸命している。
「書は、手で書くものではなく、腕で書くものではなく、体で書くものでもなく、
人間性で書くものである」と、答えた書家がいるそうな。
(金井虹鴦先生の作品)
300枚書かれたそうで、書かないより書いたほうが断然良い。
最初、目を開いて見、次に目を細めて見ると、心で感じる事が出来る。
白と黒の立体感が素晴しい。
「真白なる・・・・」
(加倉井潤泉先生の作品)
線の綾が素晴しい。
「蜜・・・・・」
(末岡紅樹先生の作品)
息子さんが作品の前に立たれ、百瀬先生が、家族愛の大切さと、
「書いた人のドラマがある」と、説明された。
書くものの種類によって、表現方法を変えてやる。
(佐藤香舟先生の作品)
強靭な線がお見事である。
(小岩香雪先生の作品)
濃墨でにじみが素晴しい作品である。
? 特別展示 生誕110年記念 松井如流 ?書・学一如の生涯ー
永守蒼穹先生の説明
35回展から、読売書道展と毎日書道展が分かれた。
松井如流先生は、書家、研究者、歌人、指導者を併せ持つ。
書感の高さ、豊かさは、郡を抜いている。
上手下手の感覚で見ても、良いか悪いかで見ても、最高水準である。
ゆったりとした、落ち着き、豊かさ、温かさ、があり、素朴な書。
努力では、賄いきれない、息遣い、空気の大きさがある。
梅原龍三郎先生が、「書いてはいけない」と、言われたらしいが、
松井先生は、技術では書いてない。
磨崖碑の臨書からは、明るい、豊か、広がりを感じる。
撰文が大事で、どこで筆を置くかが大事。
文字造形の揺らぎが無い。
近代詩文書の先駈けの存在であり、読める書・文字の表情を大事にされた。
健腕直筆で、大きな作品は全体が見えないのに、厭味が無く、上品である。
? かな 荒井青荘 先生
かな1類: 細字・臨書・和歌3首以上・俳句5首以上・他
かな2類: 和歌1首・俳句2首まで
誤字は、書いてはいけない。
墨と良い硯が必要。
素紙や加工紙に書く。
底辺から3分の2の位置に重心を置き、安定させる。
筆を立て、渇筆のきれいさを出す。
その後、全作品の解説をなさった。
? 前衛書 大六泉嶽 先生