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2010,10,25.書の練習 

下敷きの上の文鎮・筆

今日、ある生徒さんが 
「家で練習していると、不安になる」と言っていた。

私は、提案した。

「多分、何枚か書いているうちに、理屈が分かってくるので、
 たとえば半紙に5文字の作品の場合、
 1文字か2文字目に上手くいかない事が分かり気持ちがメゲ、
 最初の文字だけ集中して書いたりしてませんか?
 そうすると、4文字目5文字目の文字が疎かになります。
ある程度は、一文字ずつ書くのも良いのですが、
 作品を作る場合は、5文字のバランスが大事になるので、
 1枚の紙に5文字を書き納める、練習をしてみて下さい。
この次は、もう少し上手く、という気持ちが湧いてくると、
 中々お終いに出来ない位、集中して書けますよ」
と。

なんか、うれしそうに、聞いてくれた。

 

2010,10,21.覚える事、記憶する事 

ブーゲンビリヤ

最近、パソコンや、電子辞書等が、進歩し、大変便利に使用している。

今や、これら無しには、生活出来ないほどである。

しかし、年を重ねる毎に、物忘れと言うか、記憶に自信がなくなっている。

使い慣れない漢字を電子辞書で引いてみる、
「あっ、そうだ」全て、頭に入れた気がした。
しかし、咄嗟の時、出てこない。

十年前頃までは、私の身の回りにこの様な便利な機械は無かった?

受験勉強、漢字の書き取り、手紙、スピーチ、等々、
書いて書いて、暗記するまで書いて、覚えた。

人間の脳に記憶する為には、手で文字を書きながら目で脳に焼き付ける。

「体全体を使って覚えた」と思う。

私は、毎日毎日、筆を持ち錬度を積んでいる積もりだが・・・・・

やはり、書いて書いて、書き捲くるより道が無さそうである。

2010,9,25.漢字研究会 

羽黒山

2010,9,25.(土)
漢字研究会に参加した。

難しくて手こずったが、臨書(張瑞図)  自運  共、合格した。

要点を掴み、多習する事の大切さを、実感。

張瑞図

左:六言二句 自運   右:張瑞図 香石臨書

?

臨書について

当日、師、曰く、
「滲まない紙に、硬い筆で、筆勢を活かしなさい。」

1週間前、書の友人、曰く、
「筆は、半切用より大きな筆を使いました。」
と言って、仕上げた作品を見せて下さいました。
その場に居た何人かは、かなりの衝撃を受けた。

反省点、
滲む紙、しかも、硬い筆ではなく羊毛で表現した。
羊毛の捩れた毛で細い線が表現できたと思う。
筆勢は表現できたと思う。

自運作品の事

当日の批評、
「かなり書きなれた書き振りで、宜しい。
しかし、名前が大きいのでは?」

その通りでした。

2010,9,19.書の深み (その2) 

古代蓮

なぜ、
「古典を研鑽し、多習し錬度を積むのか?」  を、
考える。

書における「技}とは、
「生命の誕生のように一期一会」に、
その瞬間に作品を表現するものと、
考えると解り易い。

書は、
「二度塗りや、切り張り等の修正は利かない」
と、
考えると、
「古典を研鑽し、多習し錬度を積む」事により、
常に自分の「技」を磨き、
「何時どんな時でも、作品を作り上げる事が出来る」様に、
自分の体(腕)を鍛えておかなければならない。

「人間の修行」=「心の旅」=「自然の旅」と、
平行して、考えたいものです。

2010,9,12.書の深み 

古代蓮

書の道を、歩みながら思うこと。

古典を研鑽し、
多習し錬度を積み、
心の旅と自然への旅を重ねる。

極め尽せない、書の道だからこそ、より深く、歩みを進めたい。

2010,9,10.「奥の細道」の旅・4 

?

松尾芭蕉像

河合曾良像

芭蕉を大旅行に駆り立てたものは何?

・それまで[みちのく」は芭蕉にとって縁が薄いところであった、が、
 ? 芭蕉が敬愛する先人らが足跡を残したところである。
   能因法師(988??)
   西行(1118?90)
   義経(1159?89)
  その「みちのく」を、自分の足でふみしめ自分の目で確かめたかったらしい。

・旅の中で、
  歴史的な風土を通して見えてくる古人、
  古い歌人や歴史上の人物との出会い、
  現に生きている多くの土地の人々との出会い。
      ↓
 旅中の体験から、
  人間の営みのはかなさ、
  自然の悠久に思いを致し。
      ↓
 芭蕉の世界観に大きく影響、
 以後の作品にも重要な示唆を与える。
      ↓
 芭蕉自身が精神の漂泊者、
 敗者的な人生なり俳諧師という境涯があった、
 東北に対して内面的な意味での共感があったらしい。
  

2010,9,5.「奥の細道」の旅・3 

芭蕉は、携帯用の「墨入れ」と「筆」を持ち歩いたという。
旅先で、「句会」を開いて、指導をしたり、
     馬小屋の上に泊めてもらったり、人情で宿泊させてもらったらしい。

私も、携帯用の「墨入れ」と「筆」と「短冊」を持ち歩く事は出来たとしても、
5ヶ月余、道程600里(2,400km)の旅は、想像出来ない。
健脚であることも、必要である。

松尾芭蕉(1644?1694)   
門人・河合曾良(1649?1710)
「おくのほそ道」の旅は、(1689・5・16?5ヶ月余、2,400?)
(江戸深川・日光・那須・白河・飯坂・仙台・松島・平泉・奥羽山脈越え、出羽路に入り・境田・尾花沢・山寺・大石田・新庄・出羽三山・鶴岡・酒田・象潟・温海・越後国に入り・金沢・山中・永平寺・福井・北陸路・敦賀・大垣に至り・伊勢を目指して出立するところまで)

最上川  舟下り

立石寺(山寺)

立石寺(山寺)より

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